キリストの墓(新郷村)  (場所はコチラ



みなさん、キリストの墓が実は日本にもあることをご存知でしょうか?

青森県の新郷村というところに、実はあるんですよ!!!

ここは、他の謎な歴史と違い一応、村で大々的にしている場所なので、

近くまでくるとスグわかりました。





キリスト(ヘブライ語で Yhoshuah ha-Mashiah)

キリスト教において救世主(メシア)となられた方です。


キリスト教については、特にここでは触りませんが、






なぜ、新郷村に
キリストの墓があるんでしょうか??






諸説色々あるようですが、どうやらここも竹内文書に記載されているものと一緒らしい。




竹内文書では、キリストはゴルゴダの丘で磔刑されず、日本に渡ってきたとの事。





磔刑に処されたれたのは、弟のイスキリとの事。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。














ちなみに、日本来訪説というのは山根キクと言う方が研究されておりますが、

そもそも、それ以前に竹内文書には載っていたものということ。


ちなみに
エルサレムにも、菊花紋が存在します。


それも十六弁菊花紋が・・・

なぜ、エルサレムと日本の天皇の紋章が遠い異国の地に存在するのでしょうかね・・・

色々考えさせられるものがあります。

これについては、いずれ「知られざる歴史」に項目を置く、「竹内文書」に自分なりの解釈を踏まえ

記載したいと思います。



ちなみに竹内文書では、キリストが使う御技は
日本で習得したとのこと。

どんな技を持っていたかというと、





「姿を消す」

「病気を治す」

「川面に浮かぶ竹竿の上を歩く」

「高いところへ低いところへ飛ぶ」

等々




忍者か修験道みたいですね・・・


もし日本で習得したのであれば、同じ流れを組むのかもしれませんね。



さて、イスキリの処刑をみとったあと14人の弟子とともに4年の歳月をかけて、

日本へ再来日したとのこと。

再上陸の地は、青森県八戸の松ヶ崎港付近であったそうな。






以後、イエスキリストは名前を
「八戸太郎天空坊」と名乗ったそうな。
(戸来に住んで居た為、戸来天空坊とも言ったこともあるそうです。)


いまの感覚からするとスゴイ名前だ!


イエスキリストは戸来で106歳の長寿で亡くなったそうです。


さて、イエスキリストの墓ですが






右がキリストの墓、左が弟のイスキリの墓です。


お墓の前にあった、看板は↓













ということで、看板ちぇくだが






私が書いた地図よりはるかに見やすいので、

大神ピラミッドを含め参考にして欲しい。










でだ、その敷地に伝承館なるものがあった。


















もちろん行ったさ!!!!


【伝承館】






中にあるものを色々と紹介をしておくと、

竹内文書の写本なるものが置いてあります。
(一部ですが)


掲示物を
抜粋しました。



キリストの足跡について


生誕:地中海沿岸ユダヤにて生まれる。
父:ヨセフ 、母:マリアと共にナザレにて21歳まで生活。
21歳で行方不明となり、33歳にて悠然と現われて天国を語り、
神の存在を説いてまわったそうです。


この空白の12年間は、聖書では明らかにされておりません。


ですが、昭和6年に発見された竹内文書には、その足取りと遺言が記載されていたそうです。

その、空白の12年間に日本の文字や文化等々修行をされたそうです。

また、祖国に戻ったキリストを待ち構えていたものは、皆さんご存知のとおりです。

しかしながら、冒頭にも記載しましたが、弟が身代わりとなり処刑され、

その後4年の歳月をかけて日本へ再来日・・・











風習について


@旧南部藩領内に伝わる、盆踊りの歌

盆踊りの歌「ナニャドラヤ」は、どう聞いても日本語とは思えません。

色々な解釈があるらしいので、少しご紹介いたしましょう。




歌詞「ナニャドラヤー ナニャドナサレノ ナニャドラヤー」




川守田英二氏(神学博士)  ・・・  「御前に聖名をほめ讃えん 
                          御前に毛人を掃蕩して 
                             御前に聖名をほめ讃えん」
                       (古代ユダヤの軍歌でヘブライ語で神を讃えるという意味)

柳田邦夫(日本民族学)    ・・・  ヘブライ語では無く、異性に向かって呼びかけた恋歌である。




新郷村近辺にもこの盆踊りは伝わっているとの事ですが、新郷村のみ楽器等での伴奏は無く、
ただ、単調に「ナニャドラヤー ナニャドナサレノ ナニャドラヤー」を繰り返すだけだそうだ。








実際に伝承館で放送されていましたが、
スゴイ寂しげリズムだったよ・・・















Aキリストの墓を代々守ってきた沢口家


再来日したキリストは日本で結婚し、3人の娘を授かったそうです。

その3人の娘の長女が嫁いだとされるのが沢口家です。

現在の当主の顔立ちは、どうやら日本人のソレとは根本的に違うらしい。

沢口家の戸袋の紋章は・・・五芒星
伝承館の入口にもあったね。

現在のイスラエルの国旗や、ユダヤの紋章にも似てますよね。
























「六芒星と五芒星と何が違うの?」

と、聞かれても知りません!!




誰か教えてください。
私個人的には六芒星が創世記から受け継がれているもの、と思っております。
五芒星はその簡易版?もしくは省略版?もしくは一歩引いたもの?




ダビデの紋章の六芒星を恐れ多いとし五芒星にしたという説と、
沢口家の家紋(桔梗)が変化したものという説。


今では写真でしか見ることはできないそうです。















B額に十字を書く

1)生まれて間もない子供を初めて外に出すときに、額に墨で十字に書くという慣わし。

  竹内文書が表に出てくる以前から伝わっている儀式とのこと。

  「八ツ子(ヤッコ)を書く」といい、子供の厄除けと丈夫に育つためのおまじない。
  ちなみに、村の子供のソデなし(ちゃんちゃんこ)の襟に、
  糸でダビデの紋章を縫い付けるという慣わしもあったみたいだが、これも厄除けとされる。




2)足がしびれた時に、人差し指に唾をつけ3回額に十字を書けば痺れが取れる。















C方言

この村では、大人の男を「アヤ、ダダ」、女(母)を「アバ、アパ」と呼んでいる。
これは、アダムとイブ(エバ)が訛ったものとされる。(山根菊子)















D農作業の野良着

パレスチナあたりの農夫の服装に似ているそうだ。

女性が風呂敷をかぶって顔を覆うこともユダヤの風習から来たのでは?ということらしい。















Eエジコ

エジコ = エンチコ 又は エンツコ

ワラで編んだユリカゴみたいなもの。

ユダヤ人が使う「ヨーラン」にそっくりだそうです。


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思っちゃいけないが怖いよ!

人形が、肌の白い人形が、コッチヲ・・・・















《結論》

キリストが日本に来たといのは、どうなんだろうとは思うが・・・

ただ、キリストかどうかは別としてキリストの教えを受けた方が来られたのかも・・・・

向こうで迫害を受け、放浪していたキリスト教徒かもしれませんね。

現状ではキリストと断定するのは難しいかと。
(北陸に居を構えなかったのも引っかかる。)

勉強して追記するよう努力します。