義経寺(ぎけいじ)&厩石(まやいし)  (場所はコチラ




義経は平泉で死なず北海道に渡った説を追いかけ、探したのがココです。

ここから、源義経は船に乗り北海道(蝦夷地)へ渡ったといわれる場所である。

平泉から脱出した義経一行は、八戸に再上陸しそのまま青森市外を抜け、外ヶ浜町三厩から渡ったらしい。




そこで、まず
義経寺について・・・

義経が海を渡った500年後、江戸時代初頭、厩石を訪れた円空は義経の守り神だった観音様が岩の上で光っているのを見つけ、
流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さなお堂を建てて祀ったのが龍馬山義経寺となったそうです。




義経寺 山門






義経寺 本堂








次に厩石
について・・・


北海道へ渡ろうした義
経は、悪天候の為渡れずにいた。
そこで義経は日頃身につけていた観音像を波打ちぎわの岩の上に置き、海上平安の祈願を込めたそうな。
三日三晩一心に普門品経を唱え続けると、暁の頃、長い杖を手にした白衣白髪の老人が姿を現し義経に告げた。

「汝の願いを聞き届け、三頭の神通力を備えし龍馬をつかわそう。これに乗り海に渡るべし」

これぞ観世音のお告げと義経は感涙し、感謝の祈りを捧げた。
やがて岩から降り、近くの岩窟の」近くへ来ると馬のいななきが聞こえた。
中を覗くとそこには見事な龍馬が三頭つながれており、ふり返るとあの荒れくるっていた海が嘘のように静かになっていた。
こうして義経一行はこの龍馬にまたがり、無事に海峡を渡ることが出来た。

という話です。
三頭の龍馬がつながれていた場所(厩)から、この土地の地名は三厩村と呼ぶようになったそうです。↓↓↓







看板ちぇっく










厩石です。



この写真からはちょっと見づらいですが、馬が3頭程度入れる穴?が正面石碑の後ろ側にあります。