吉見百穴(よしみひゃくあな)  (場所はコチラ
埼玉県比企郡吉見町327



ちょっと前にとあるホームページで見つけてから、是非行ってみたくなったので早速行ってみました。


−国指定史跡−(大正12年)

吉見百穴は6世紀末〜7世紀末に造られた横穴墓(横穴式のお墓)です。
ここの岩は凝灰質砂岩と呼ばれる、比較的掘削に適した岩盤であり、
当時の人々は掘削するのに適した場所を探して横穴墓を造ったと考えられているそうです。
ちなみに現在確認できる横穴の数は219基だそうです。(すごいですね)


吉見百穴の発掘は明治20年(1887年)に、穴居時代の小柄な先住民族「コロボックル」の住居という説にて発表されたが、
多くの穴に古墳と同様の台座状の構造があり、集合墳墓という説が定説となっている。


ちなみにここは、太平洋戦争時代に軍需工場になったそうです。
一番下?には巨大な横穴が広がっており、何かが出てきそうなぐらいひんやりとした空間でした。


あと、ここには有名なヒカリゴケが生えています。
呼んで字のごとく光るコケです。


まぁ、前置きはここまでとしてさっそく・・・






















遠くからでも良く分かる構造物が・・・
























穴だらけですな!!!!!
そりゃこれだけの穴を見たら、お墓は思い浮かばないですよね。


穴は覗く事が可能です。

入れる穴もありましたが、落書きがひどくて・・・

心もとない人が世の中には沢山いるんだな・・と常々思いました。(餓鬼ですな)

貴重な文化遺産だぞ!!!









で、看板を拝見







ふむ、コロボックルの住居なんて中々思いつかないよね。

そもそも、コロボックル(土蜘蛛人)って何だ???

本当にいたのかな??

基本的にSFちっくな妖精?だと思っていたのですが・・・どうなんでしょ?




まぁいいや。



つづいて
ヒカリゴケね!!




みなさん実際のヒカリゴケって見た事ありますか?

私は始めて見ましたよ!!!



綺麗ですね!!!

何も着色してないですよ!!

普通に、デジカメで撮りました〜〜

ちなみに、入口は鉄格子で遮られて中には入れませんからね。

採っちゃダメですよ!!!

ただ、鉄格子が邪魔なのと奥のほうに生えているので、

晴れている日じゃないと見えないかも・・・



















んでまぁ、百穴最後の軍需工場跡だが・・・


こは、なんていうんだろうか人が入っては駄目なような気がする。

外との温度差もかなりあります。


最初に言っておきます。
ものすごく霊的オーラが強いので、


ソッチ系に強い人は、奥まで入らないほうが無難です。

なんだろう、入るなオーラが充満してました・・・

私は入りましたがね!!!
この後、安楽寺に行って色々落として帰ったつもりですが、帰路の途中頭痛がひどかったです。
(バイクなのでヘルメットのせいかもしれませんが。アハハ・・・ハァ・・・)


ちなみに図面は休憩所?に貼ってありました。
撮らさせてもらいましたが、ここでは控えさせていただきます。


結構広くて縦と横の洞窟がそれぞれ交差して、碁盤の目のようになっていますね。

軍需工場は大きく分けて「松山城跡下」「百穴下」「百穴の北側」「岩粉山近辺」の4箇所あったらしい。
基本的にはダイナマイトを使ったが、全国から集められた3,000〜3,500人の朝鮮人労働者が昼夜を通しての突貫工事
また、この工事は全体の図面に基づいて掘り進んだのでは無く、工事を進めながら設計してたとの事。
松山城下には固い岩盤があり落盤が起こりやすく難航したみたいです。
実際には、機械が搬入されエンジンの部品が製造され始めたが、本格的な生産活動に移る前に終戦。



じゃ、さっそく入口を!!




ここらは、ぜ〜んぜんなんともないね。
奥が暗いから怖いけど・・・






真っ暗なので、手振れを起こしているのは我慢してください。

もう何か、コレを作っている最中でも鳥肌が・・・・・


最後に強烈なのを!!!




























これ以上は行くなゾーン!!

行かないよ!!!!





吉見百穴もココも貴重な文化遺産だから大切に扱いましょう!!!