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諏訪大社とは  (場所はコチラ




まず、諏訪大社には、『上社 前宮』 『上社 本宮』 『下社 春宮』 『下社 秋宮』と、

4つの宮からなっており、社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木の柱が立っているほか、

社殿の配置にも独特の形を備えております。



御柱(おんばしら)というのは少し聞いたことがあるかもしれませんが、

諏訪大社の神事として、『御柱祭』というものがあります。

諏訪大社の神事は


○式年造営御柱大祭

  がけの上から葉を落としたモミの木を落とす映像を、テレビで見たことあろうかとは思いますがアレです。

  寅年と申年に、樅(もみ)を山中から16本切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭です。
  長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し、社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。
  立てる直前に柱の頭を三角錐に削り、これを「冠おとし」という。
  この御柱祭りは七年目ごとに行われ、柱を更新する。

 

○御神渡

  これもテレビで見たことあるかもしれませんが、湖面の氷が左右から押され真ん中で膨れ上がる現象です。

  御神渡(おみわたり)とは、男の神がいる上社から、女の神がいる下社へ行く際に通ったとされる湖面の氷の盛り上がり現象。
  同様の現象は摩周湖等でも起きます。
  

御頭祭

  御頭祭(おんとうさい)とは、上社の例大祭で4月15日(要確認)に開催される。
  3月酉の日に行なわれていたので酉(とり)の祭りとも言われる。
  本宮から神輿行列を作り前宮に向かい境内の十間廊で祭事が行われる。
  五穀豊穣を祈願しお供え物には鹿の生首(現在は剥製)などが供えられた事から御頭祭と呼ばれる。
  
  上社の最重要祭事で、祭神 建御名方命 の使節が五穀豊穣を祈り、その支配管内を巡察を兼ねて?回って歩いた由来とされる。 
  この神は、農耕・狩猟・気象などなど多くの信仰を集めた神であり、武神とも崇められて居ただけあり、神前に供えられる品々も各種で、
  鯉や雉・ 特に鹿の頭75頭(現在は3頭)等 他の神様とは趣が少し違っている

  実はこの祭りがユダヤの祭礼のと類似しているらしいので、日ユ同祖論の根拠としてあげられることがあります。
  
  旧約聖書の創世記第22章に記載されている内容として、

        アブラハムが神から信仰心の証のため、自分の息子イサクを生贄に捧げることを言い渡された。
        モリヤ山にて縛り上げ殺そうとしたところを、神の使いがやって来てそれを止めた。
        アブラハムが目を上げると、藪に首を突っ込んだ雄羊がいたので、それを息子の代わりに生贄として捧げた。

  というものである。

  モリヤ山=守屋山  イサク=ミシャクチの転じた物

  儀式の類似としては席ほど述べたとおり75頭の鹿の頭と、ユダヤ系サマリア人の祭礼で、
  (実は昔は羊だったが日本には羊が居なかったため、鹿になったそうだ。)
  4月の同じ時期に、75頭の羊を捧げる神事があるらしい。

○御舟祭

  御舟祭(おふねまつり)とは、下社の例大祭で8月1日(要確認)に開催される。
  御神体を舟に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。
  なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。
  諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。
  「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や
  「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。




前宮

諏訪明神の信仰の原点といわれています。
宮のみあるが、現在神体は祭られていませんが、御頭祭において十間廊が使用される重要な社ではあります。


本宮

御神体は守屋山。
諏訪造とよばれる幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独自配置であり、参道から見ると本道がそっぽ(横)に向いているため、
「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と言われています。


春宮

毎年2月〜7月の間はこちらに神体が祭られています。
参道の途中にある太皷橋は室町時代のつくりで、別名を下馬橋といわれ、
身分に拘わらず馬から下りて渡らなければならないとされたそうです。


秋宮

毎年8月〜翌1月に神体が祭られている。よって、初詣は秋宮で行われます。
中仙道の宿場町である下諏訪に鎮座、温泉の湧出地で、境内にも御神湯があり、
正面には「根入りの杉」、奧に神楽殿、幣拝殿、左右片拝殿が並んでおります。


【御祭神

上社
      ・建御名方命(たけみなかたのみこと)
      ・八坂刀売命(やさかとめのみこと)
下社
      ・建御名方命(たけみなかたのみこと)
      ・八坂刀売命(やさかとめのみこと)
      ・御兄 八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)


記紀神話に基づく起源としては、天照大神(天津神系)の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、
出雲を支配していた大国主命(国津神系)に国譲り(出雲王朝の支配権を譲渡するように)を迫ったことに対し、
大国主の長男である建御名方命(たけみなかたのみこと)が国譲りに反対したが、
武甕槌命(たけみかづちのみこと)と相撲して負けてしまい、諏訪まで逃れてその地で王国を築いたということになっている。


ただし、この神話が天皇家を中心とする律令制国家の成立の過程で、

政治的な理由のために『後から作り上げられたものである』とする説がほぼ確定しているそうです。

本来は古来から信仰されていた土着の神(国津神)であり、その縄文時代以来の土着信仰は御柱祭などの祭祀行事に名残を残している。


この御柱であるが、それ以前のミシャグジ信仰の石柱との関連性があるという説がある。
また富士見町の御射山(みさやま)や松本市の三才山(みさやま)などの地名は、このミシャグジ信仰が地名として残ったものとも言われている。

一部ウィキペディア引用(2007/10/8)